繋ぐ(150号)
初夏の奈良公園から東に入った春日大社の参道にある藤の木の下で憩う母子の鹿を描きました。
遷都1300年を迎え大勢の人で賑わう奈良公園でした。
思えば、この鹿達も何百年も繋いできた命が今にあり、かわりないその姿は何て尊いものなのでしょう。そんな、想いに至ります。
つなぐかたち
我が一人娘と画題を探しがてら、ある日、草むらを散策していました。青い空の下、昆虫を探すのは何年ぶりだろうか。若葉しげる中、網を片手に無心になりました。
ハッ、と我にかえり、冷静に眺めてみると、そこには小さな草花や虫達。いろいろな命で溢れていました。
娘がいるのは、私と夫がいるから。私がいるのは、父母がいるから。父母がいるのは、祖父母がいるから。ひとつひとつたどっていくと命は繋がっている。
この地球は色々な命で創造されている。という思いが込み上げてくるのです。
Etude
Etudeは、練習曲という意味ですが、私のこの作品のタイトルはそれではなく、ショパンの木枯らしのエチュードの譜からきています。木枯らしのエチュードの譜を見ていると、木の葉が舞う様に見えてきます。
奈良の東大寺、西門にそびえ立つ大きな銀杏をスケッチしていた時の事。風に揺れる枝と流れる様に舞う葉。その様子がショパンのこのエチュードの譜の流れと重なり、このタイトルをつけたのです。
ショパンは音からのイメージで、これを作曲したのか・・・それとも、木の葉が舞い散る様を見て、視覚からあの譜の流れを作り出したのか・・・どちらなんだろう。 興味深い。
月下美人、星見草、紫陽花、メダカ達それぞれが咲く時期を知り、蕾をつけ、又は卵を抱える季節ごとに輝かしい瞬間を見る事ができる事に感謝です。
左から、時計草、藤、クレマチス、初夏、大手毬とトンボ